一人は発達障害、もう一人は不登校のち中退、でもきっと大丈夫

上の子は発達障害、下の子は不登校のち高校中退しました。でもきっと大丈夫。

大学受験と社会復帰

ご無沙汰しています。


さて、先日、息子の大学受験が終わりました。


結論を言いますと、合格をもらえたところは

一つもなく(まあまあ難易度の高い大学のみ受けたので)

浪人をすることが決定、

予備校の説明会にも行き、候補をしぼりました。


半年前に初めて


「完治かもしれない、、、」

(完治は難しいと言われている精神疾患のため、信じられませんでしたが)


と感じられるくらい元気になりました


(それまでの経緯、治療については

また後日書きたいと思います)。


以前の予備校で同じだった彼女らしき存在もでき、


また、何より明るく茶目っ気たっぷりの、

彼に戻ったのが

本当に嬉しいです。


予備校に通う、ということは

「社会復帰」の第一歩ですね。


読んでくださりありがとうございました。



高校中退した息子のこれまで(48)

前回の続きです。


一本、二本、、、


お酒の缶が空になっていきます、、、


様子を見よう。


とりあえず外に行って暴力行為などをするよりはマシだ、、、。


つとめて冷静にしていましたが


全神経をはりつめて、

静かに状況を見ます、、、



警察に連絡?


とも思いましたがやはりやめました。


あと数時間待てば落ち着くはず、、、



彼は数日前に中学の同級生たちと

お祭りに行ったのです。


そこで高校生活を楽しんでいる彼らと

自分との違いをしみじみ感じたのでしょう。


絶望、切なさ、やるせなさ。


彼の気持ちが手にとるようにわかりました。


(不摂生や無理をして精神疾患を患って

しまったのは本人が原因であるわけですが)


辛いだろうな、、、


私も切なくなりました。




さて、おそらく体質的にアルコールに弱いだろう

と見ていましたが、


案の定、彼はすぐに気持ち悪くなり、

トイレに篭ってしまいます。


そして、

トイレから出ると、


疲れてしまったようで

部屋にこもってしまいました。


疲れ果て、眠ってしまったのかも

しれません。


私はというと、


結局不登校には効果がなく、高校中退して

しまったということで安易に中断していた


心療内科に通い、薬をもらわなければ、と


思い急いで私は


家の電話の受話器をとりました。


地獄のような晩夏の1日でした。


(続きます)



高校中退した息子のこれまで(47)

包丁を服の下にいれると

すごい勢いで飛び出してしまった息子。


追いかけようとしましたが私は気力なく


そのまま唖然として立ち尽くしていました。


警察に連絡?


いや様子を見よう。


「人を殺す」と言ったのは単に脅しのつもりだろう。


それにこれまで何度も110番してパトカーが

家に来ているのです。


これ以上近所の目に触れるのは辛い。


そう考えて待ちます。


けれども一応、会社にいる夫に連絡しました。


携帯の電源は切っているようだったので

会社の支店にかけました。


会社に電話なんてやめてくれ、


といわんばかりの様子で電話口に出た夫が

緊張でこわばった表情になっていくのが

見えるようです。


もし息子が本当に人でも刺して事件になって

しまったら夫の仕事、これまで築いてきた

地位などもすべて無駄になってしまうでしょう。


、、、しかし、どこかに「息子は人を刺したりは絶対にしないだろう」という確信もありました。


幼稚園のときに叩かれても仕返しをしなかった彼は、人の痛みに人一倍敏感な優しい

子だったのです。


、、、、、、、


20分くらいして彼は帰ってきました。


スーパーの袋には、


缶ビール、ウォッカ、焼酎など数本入って

います。


もうすでにお酒の缶を一本あけて

飲んでいるようで赤い顔をしていました。


陽気な気分になったようでにやにやと

笑っています。


、、、とりあえず良かった。


そう思っている間に一本、二本と


お酒をあけていきます。


、、、、、、、、、、、、、、


だめだよ。


止めましたが今にも殴りかかってきそうな

表情で凄まれました。


飲んだことのないお酒は彼の身体にはきつかったようですぐに気分が悪くなって

しまったようです。


気持ち悪くてトイレに篭ってしまいました。


、、、狂気の沙汰とはこういうことなんだな。



絶望の淵にいながら私の頭は

どこかはっきりとして、


冷静だったのを覚えています。


(続きます)








高校中退した息子のこれまで(46)

息子はむせび泣きながら携帯をテーブルに打ちつけています。


全て、お前のせいだ、、、


俺だって高校生活を楽しみたかった、、、


嗚咽。声だけでわかります。


どれだけ彼が苦しいか。悲しいか。

やるせないか。本当に本当に辛そうなのは

漏れる嗚咽から十二分にわかりました。




これまでの子育てに対して、

全身で恨みを表して、


自分の人生に対して絶望し、嗚咽する息子。


でも私は、謝りませんでした。


ある面、勉強をきちんとさせようと

厳しくしたことが間違っていたかもしれない。


学校や地域で問題を起こした時に

本人の言い分を聞かず頭ごなしに厳しく叱ってしまった。


それが本人が自己肯定感を持てない理由と

なってしまったかもしれない。


でも、私が謝ったところで、

彼が救われるわけではないだろう、

そう思いました。


一生、自身の状況を何かのせいにし続けて生きていくことになるでしょう。


そこで私は冷たく言い放ちました。


「あなたは、きっと一生、物事を

人のせいにして生きていくんだろうね」。


彼は黙りました。


そして、ベランダに出ると、

携帯を投げ捨ててしまいました。


「携帯は捨てた。持っていた金も捨てた」


と言います。


夏休み、昼近くの時間です。


人目が気になりましたが、携帯と現金を

探しにマンションの中庭へ降りて行きました。


掃除の業者の女性がいます。


高齢とまではいきませんが、私より上の

年代の方。


「子どもが携帯を上から落としてしまったのですが知りませんか?」


尋ねてみます。


「あら、それは大変」

気の良さそうな女性たち二人で探し始めて

くださったので、申し訳なく思い、

「他を見てみます」

と場から離れました。


家に戻ると、息子はキッチンの包丁を手に、

「今から人を殺してくる」


と言い、家を飛び出してしまいました。


(続きます)







高校中退した息子のこれまで(45)

金属のスマートフォンが割れる音を

初めて聞きました。 


バキッガシャッ、、、


すごい音です。


混じって息子のむせび泣く声。


「お前のせいだ。お前が子供の頃俺を怒ったから、俺は傷ついて、劣等感から中学で

猛烈に勉強したんだ。


それで精神を病んだ。

全てお前のせいだ。


謝れ。今すぐ謝れ。


でないと警察を呼ぶ、、、、、、」



彼は正気でない、そう思いました、


同時にこれまでの子育てを瞬時に振り返りました。


一体何が間違っていたんだろう。

充分に愛情を注いだつもりだった。むしろ甘やかしたかもしれない。


幼稚園の頃からリアクションが派手で、

喜怒哀楽が激しい子だった。


幼稚園では園バスの中でお友達とうるさすぎるほど騒いで職員会議で名前が上がり、

先生におしおきを受けた。


運動会の組体操の練習がきつくて

数日間登園拒否をした。


仲良しのお友達とトラブルも多く、

その子のお母さんからクレームの電話をもらった。


声も大きく感情も激しく、

良くも悪くも目立っていた。


でもいつも面白いギャグを思いついて皆を

わらわせたり、


賢さや繊細さも垣間見られ、

一筋縄でいかない複雑さも感じていた。



色々なことのあった幼稚園生活の最後の

卒園式の日には、担任の先生と

お別れするのが悲しくて、先生にへばりついて泣きわめき離れなかった。


皆先生と写真を撮りたかったのに

息子が先生の足元から離れないせいで

皆、記念となる写真が撮れなかった。


何度先生から引き離してもまた先生のところに戻ってしまい、私の体力は限界だったのだ。


小学校の時。

入学したての頃、初めての保護者会の時に、

私の姿を見ると、ついてきたと思ったら

「家に帰る!」と学校を脱走しようと走って門のところまで行く。


急いで追いかける。見失ってしまった。

保護者会はもう教室で始まろうとしている、、


やっと見つけ、抱きかかえて教室に

戻ると、他の生徒の子達は、保護者が会を

している間、図書室で絵本の読み聞かせをしてもらいながら待っているそう。


そこで図書室まで連れて行く。

しかし、ぐずる。泣きわめく。

「ママと一緒にいる!」


先生に特別許可を出してもらい、

ぐずぐず言う本人を膝の上に乗せての

保護者会だったっけ、、、。


女の子のお母さんからのクレームの電話。


下の学年のお母さんからの電話。


恐喝みたいなことをして、

学校に夫婦共々校長室に呼び出されたこと、、、、。


携帯の割れていく金属音とともに


色々なことが思い出されました

(続きます)。









高校中退した息子のこれまで(44)

精神科の薬を安易にやめてしまうことは

良くないとは聞いていました。


けれども、治ると信じて心療内科

通ったのに治らず、高校を中退することに

なってしまった、、、。


心療内科の、息子担当の先生に、

色々期待をしすぎていたのかもしれません。


私自身がお客さん相手の仕事をしていた

こともあるのでわかるのですが、

担当医としては、お客の数=評価

になるわけで、

息子が外に出られず通院できなかった後(代わりに私が行っていました)は、

決まって息子を責めるような態度が

感じられ(考え過ぎかもしれませんが)


息子の治療よりも自分の成績の方が大切なのかな、と感じたことや、


学校に行かれるようなんとかアドバイスして欲しかったのですが、

それよりも息子の機嫌を損ねないように

しているような態度が誠意がないように

感じられたのです(私自身も余裕がなく、

やや被害妄想的だったかと思います)。


そのようなことから、心療内科に通うことを中断したのです。


1ヶ月ほどでしょうか。


しかし、息子の様子は変わっていきました。


薬を全く飲まなくなり、1ヶ月ほど後でしょうか。


息子はその前日、久々に中学の同級生と

地元のお祭りに一緒に行きました。

皆が高校の話を楽しくしていたのでしょう。

それを聞いて寂しい思いをしたのだと思います。


朝から私のところに来て、


お前が幼い時に、俺が発達障害なのに

それを考慮しないで叱った。

それがトラウマになった。

無理矢理勉強させた。

だから俺は中学で優等生になり、

レベルの高い高校を目指して猛勉強した。

それで病気になったんだ。


お前のせいだ。


どうしてくれる。

今すぐ謝れ。


謝らないと人を殺す、、、


などと言ったことを延々と言ってきました。


私は放っておきました。

たしかにそうかもしれないですが、

人のせいにしていたところで彼には何の

進歩もないし、

悪いことをして(人に迷惑をかけるようなことです)叱らないのはおかしい。



すると、、、

彼はむせび泣きながら、

携帯を机に打ち付け始めました。


ドンドン、ガシャン、バキッ、、、


すごい音がします。


私は心臓が縮まる思いでそれを聞いていました(続きます)。

高校中退した息子のこれまで(43)

高校を中退したら、きっとストレスがなくなるはず。


心を病んでいるので

(双極性障害と診断され、統合失調に近い感じの被害妄想「他人に陰口をたたかれている」といったものもありました)


毎日に登校刺激は辛かったはず。


だから、一年くらい休んだらきっと良くなる。


なってほしい。


そう思っていました。


好転はしても悪化することはないだろう、、、


その言葉を中退したことの慰めにしていました。


しかし、事はそう甘くはありませんでした。


「結局治らず高校中退することになってしまった」  


と考え、それまで通っていた心療内科を私達の判断でやめてしまったことが大変なことを引き起こすとは思いもしませんでした。


心療内科に通わない、ということは、

それまで飲んでいた薬をやめることです。


薬の服用を急に止めることが


どんな結果をもたらすかは想像していませんでした。


(続きます)