一人は発達障害、もう一人は不登校のち中退、でもきっと大丈夫

上の子は発達障害、下の子は不登校のち高校中退しました。でもきっと大丈夫。

近況

久々の更新となつてしまいました。


夏に自身に消化器の病気が見つかり、入院、手術をし、検査結果が出るのが秋だったため、

精神的に落ち着かない日々を過ごしていました。


おかげさまで、悪性のものではなく、

また半年後には検査をするようですが、

とりあえず元気にしています。


息子の方ですが、

来週から大学入試本番が始まります。


体調、精神状態も良好

(まだメンタルクリニックには通っており、薬も断薬には至っておりませんが、、、とりあえず今後の進路が決まるまではそちらについては現状維持でやっていきたいです)。


ただ朝起きる時間が定まっていません。


その点だけは心配ですが、

高校中退した頃のように、


起こしても起こしても起きられない、

すぐに寝入ってしまう、、ということは

ありません。


とにかく体調を整えて頑張ってもらいたいです。


高校中退した息子のこれまで(54)

その夏はこれまでの中で一番過酷な

夏でした。


携帯をベランダから落として破壊し、

飲酒し、泣き叫ぶ、

俺がこうなったのはすべて

お前のせいだと執拗に責め続ける、


かと思うと陽気な様子で卒業した中学校を

突然訪ねてその様変わりした

風貌で先生方を驚かせる。


ある時には


「自室の窓からの風音がうるさくて


眠れない」と


ベランダに布団を敷いて寝る。


アルバイトをすると言い、

1日で辞めてしまい、

その後のユニフォーム返却などの

手続きをこちらでしなければならない

こともありました。


真夜中に気づくと

「助けてください」と

足元に座っている。


、、、、、、


仕事に行く時には

家中の紐類や刃物類を

隠したのを確認して出て行きました。


そして通勤途中にもメールを送る

(LINEは教えてくれませんでした)。


「調子はどうかな。

何かおいしいものを買って帰るからね。」


明らかに彼の調子が悪そうな時には


神経を使い、


何か一つでも「お楽しみ」を

買って帰りました。


長かったです。


高校中退してから回復の兆しが


時折垣間見えるようになるまでの


半年間、


たった半年間ですが、


永遠に続く回廊?

終わりのない回廊を歩いているような、


希望もないのに、


無理矢理「希望」と言ってみせる、

そうでもしないと


自身の心が果てしない闇に

吸い込まれてしまう、


そんな果てしない道をただ行くようでした。


無理矢理、「今日も感謝の日だった」

と言ってみます。


嘘なのはわかっていても、


無理矢理、「感謝すること」を

「探さないと」

やっていられないほど、


追い詰められた精神状態でした。


通勤途中、ふと涙が出そうになりました。


イヤホンをはめ、


音楽を聴きました。


昔好きだったバッハのピアノ曲


心に滲み入るような調べは

優しく、本当にそこにまるで

神の愛があるかのような


そんな気持ちにさせてくれました。


大げさかもしれませんが、


そんな些細なことに一つ一つ


一筋の光を見出すように感じて


生きていくしか


方法がなかったです。




同じ頃、


精神疾患の子供を持つ親として、


成人した我が子を殺めてしまったという


ニュースを耳にしました。




その方の気持ちが痛いほどわかりました。


世間一般で言うように、


「ひどい世の中になったね」とか

「子供がかわいそう」とか


そんな言葉では片付けられませんでした。


一体、どれだけ苦しまれたのでしょう。


苦しんで苦しんで、


そうしてしまったのでしょう、、、


その時の経験で良かったのは、


このような立場の人たちの気持ちの


数十分の一でも


わかるようになったことでしょうか。




高校中退した息子のこれまで(53)

息子の状態が悪くて一番辛かったのは


高校中退した直後の夏休みで、断薬している


(勝手な私の判断で心療内科行きをやめて

しまったのです)


時でした。


もともと感情の起伏が幼い頃から激しかったですが、激しい、なんてものではない、


むせび泣き、激怒したかと思うと、


次の日には元気で快活な様子になる。


鬱の日には、寝ている私の足元にきて

「助けてください、、」と座っている。


髪を明るい茶色に染め、

見かけはやんちゃな青年のようでしたが


大変でした。


ある日のことです。


明るい様子で


「俺、これから、中学(卒業した中学です)に

行ってくる」


と言いました。


冗談だと思い、受け流していたのですが、


彼は


中学に本当に行ってきたのです。


突然に、そして、茶髪で、

担任の先生方に

会いに行ってきたのです。


先生達、さぞかしびっくりされたでしょう。


彼は、在学中は

成績は学年トップを争う成績で、


高校は高校生クイズ選手権で優勝する

ような進学校に進学したのです。


部活の部長や委員会の委員長も任されて

いました。


そんな彼が高校を辞めてきたと言って

目の前にいる、、、


一つ目の進学校を中退して別の私立の

高校に編入したのは報告済みでした。


けれどもそれも辞めてしまうとは

想像されなかったでしょう。


帰宅した彼に聞いてみました。


「先生、何て言っていた?」


すると、彼は、


「うん、[頑張れよ]って言っていたよ」と

答えました。


そうだろうな、、、

そう言うしかないだろうな、、、


かつての教え子が全く違った姿で

現れたのを目の前に、

先生の心中を想像してみたのでした。




高校中退した息子のこれまで(52)

母が隣町に住んでいます。


高齢ではありますが、


自分のことは自分でできる、、、どころか

家事能力など素晴らしい。

父が他界した後私達子供を育てて大学や大学院まで出すまでに育てた母は

私などより家事も仕事もできます。


いつ訪ねても家はすっきり片付き、掃除も

行き届いています。


仕事はさすがにしていませんがボランティアに参加し、


友達とはデパートで買い物を楽しむお洒落でレディなお年寄りです。


料理も丁寧で格段に美味しく、私は何をとってもかないません。


なので子供達は母の家に滞在することが大好きです。


息子が不登校になった時、


長男の彼への暴言が酷かったため、


これ以上きつい言葉をかけられたらますます

登校できなくなるだろうとの考えから、

長男を一時的に母のところへ滞在させたことがあります。


当時浪人生の長男にとっては小学校〜高校までのような制約(住所変更などでおこる不都合が多い)がないため、


好都合でした。


結局、母が疲れ気味になってきたのを機に

数ヶ月で終わったのですが、


息子はこのことを知っていて兄と同じように自分も滞在してみたいと言い出しました。


「〇〇(兄)といると精神状態が悪くなる。


だからおばあちゃんに頼んでみて」


と言われました。


しかし、高齢の母のことを考えると

簡単には答えられません。


「頼んでみるから、待っていてね。


でもたとえOKをもらっても

今日とか明日とかに行くというのは無理だよ」


と伝えました。


すると、、、、


車の後部座席に乗っていた彼は、

突然車を降りて歩き去ってしまったのです。


運転中の夫は

「放っておけばいい。

そのうち戻ってくるだろう」

というので、自宅まで徒歩数十分の

比較的近所だったため、そのまま家に

帰りました。


すぐに息子は彼の祖母のところに移りたかったのでしょう。


でもすぐには叶わず、

イラッとしたのだと思います。


そんなところも、

やはり、どう見ても昔の彼とは異なり、

おかしくなっていたと思います。


家に帰った私達は2時間、3時間、、、と

待ちます。


しかし帰ってきません、、


もしかしたら、、、


自分で自分を殺めてしまっていないか、と

いう思いがよぎりました。


「警察に連絡しよう、、」とうろたえる私に


夫は腹立たしげに

「大丈夫だよ」と言います、、、


段々私も苛立ってきて、喧嘩腰に

なってきます。


「じゃあ、あと30分待って帰らなければ連絡するよ?」


、、、すると、帰ってきました。


「タクシーに乗ってきた。


下に待っていでもらっているからお金

ちょうだい」


、、、安堵しました。


でもタクシー代は2千円以上したでしょうか。



、、、今となっては笑い話です。







高校中退した息子のこれまで(51)

7月に高校を中退し、家にいるようになった

息子との日々は想像を絶するものでした。


私達の個人的判断で心療内科通いをやめてしまい

(心療内科に行っても不登校は解決せず中退することになってしまい、がっかりしていたことも手伝い、心療内科に通わせるのを

やめてしまったのです)


当然それまで処方されていた薬ものみません。


そのせいでしょうか、「奇行」と思えるような行動に拍車がかかってきました。



ある台風の夜のこと。


もう夜中12時だったでしょうか。


強風が息子の部屋の窓をたたき、

せわしなく音をたてています。


寝ている私のところに息子がやってきました。


「落ち着かない!」


と言ったと思うと、


布団を自室から運んできて、 

ベランダの戸を開けます。


何をするかと思ったら

ベランダに布団を敷くと、


そこで寝はじめてしまったのです。


「窓の音がうるさいから、今晩は


そこで寝る!」


とのこと。


私は疲れていたので、


もう近所の目も何も気にする気力もなく

そのままにさせました。


私自身、注意する気力はないのですが、

ちゃんと感情を感じることはできるようでした。


「絶望」「諦め」という感情。


ベランダに布団を敷いて寝る息子。


時にはベランダの戸を開け放ち、


「俺は神だ!」と叫ぶ息子。


精神を病んでしまった息子。


やることなすことが


どんどん突拍子もなくなってくる日々。


中学では色々な役目を任され、

成績はトップクラスで難関高校に入りたくて、勉強していた一年前の夏。


次第に朝起きられなくなって中学校を休みがちになる中迎えた高校受験。


滑り止めしか合格できなかったという失敗。


入学した高校での軽いいじめと中退。


慌てて探して何とか編入できた二つ目の

高校での不登校


「鬱だ、、、」

「死にたい」

「人目が怖い」

「誰かが悪口を言っている」


と繰り返したこれまでの一年間と高校中退。


これからどうするんだろう、、、


私達夫婦はずっと彼の面倒を見続けるのだろうか、この先何十年も?


精神を病んだ引きこもりの息子を

殺害してしまったというニュースを

耳にするたび、


その両親の気持ちが本当によく想像できました。


この先どうなるんだろう、、、


こんな答えの出ない問いかけを


当時はいつもしていたように感じます。







高校中退した息子のこれまで(50)

買い物に一緒に行く時の人混みで

「皆が悪口を言っている!」


と突然不機嫌になる。


登校支援カウンセリング


(登校できるようにするための民間のカウンセリング。高校中退した後でしたが、いづれ大学生になった時のために受けておこうと

思い、通っていました)


にいく車の中で緊張のあまり、動悸が激しくなり、救急病院を探す、、、


ふと口にした私の言い方が気に入らないと

襖を蹴飛ばし、木枠が外れ、


顔にはスリッパがピシャリと飛んでくる日々。


まさに地獄のようでした。


けれどもこういう時こそ泣けないのです。


不自然に見えたかもしれません、


私は口癖のように「絶対大丈夫」と

念仏を唱えるがごとく繰り返していました。


絶対大丈夫。


そう自分に言い聞かせないと


暗い暗い谷底へ

引きずり込まれてしまうからです。


パートの仕事へ行く時、

歩きながら涙が出てきそうな時。


「いや、こんな気持ちに引きずられて


たまるか」と


私は大好きな音楽をスマホで聴きながら


仕事場に入りました。


もちろん、ナイフ、包丁などの刃物は

隠して。


そして、数日前に


「ロープを買おうと思う」と息子が言っていたのを思い出し、


紐という紐を全て隠して。


そんな日常でした。


(続きます)




高校中退した息子のこれまで(49)

前々回の続きです。


私は一旦中断していた心療内科


連絡します。


ただし思うところあって担当の先生は

かえてもらいました。


頓服薬もきっちりもらい、

家路に向かいます。


心療内科に通い、回復すればきっと高校に通えるようになる。

そんな夢もあっけなく破れ、

今後について、ただただ不安でした。


フリースクールなどに通うという選択肢もありましたが、この精神状態では

まず通えないでしょう

(当時、彼は、「人が見ている」「悪口を言われているような気がする」


と人混みを避けて行動していました。


例えば、「本を買いたい」というので

駅ビルに連れて行ったところ、


「人が多すぎる!」と急に不機嫌になってしまう。


車に乗せると、「窓から皆が見ている」

と窓から見えないように後部座席に

寝そべる格好で目的地まで乗っている、


という具合です。


果てしなく白い延々とした一本道が

続いているように感じられました。



絶望。


これを、絶望と呼ぶのだと思いました。


(続きます)