一人は発達障害、もう一人は不登校のち中退、でもきっと大丈夫

上の子は発達障害、下の子は不登校のち高校中退しました。でもきっと大丈夫。

高校中退した次男のこれまで (1)



浴室の掃除が終わりました。


不登校が本格化し、留年もほぼ確定し、

次男は

留年してまで登校したくない、

高卒認定を受けて大学受験する、


と夏に二つ目の高校を中退して家にいます。


その間、服薬(双極性障害と診断されています。発達障害の疑いもあり)をしていなかったためもあり、


大変なことがたくさんありましたが(またいづれ記事に書きたいと思います)


おかげさまで今のところ落ち着いています。


一つ目の高校では、軽いからかいにあったのが直接の原因ですが、一番はその頃に既に

鬱状態でした。


鬱状態になったのは高校受験で思うような

 

結果が出なかったこと。そして中学で、


もともとそんなに器用なはずではないのに、

 

部活や委員会のリーダー、各係のリーダー、


まとめ役、挨拶役など大量の役目を頼まれる


ままに受けてしまった事によるストレス。


高校での進路で高望みして


超難関校を志望したため、小学校時代遊んで


ばかりいたのに、本人にとって大変な量の


勉強をしたことがストレスのトリガーに


なったのだと思います。


もともと明るくて社交的、元気いっぱい


ですがわがままで病弱、


熱や痛みなどに耐えられず辛い時は大声を


出す、


退屈しているときは大騒ぎし、


しつこく嫌がらせをするなどちょっと難しいところもありました。


小学校の時には、先生方から「態度や言葉遣い」(主に先生への反抗的な態度です)


であまり良く思われていないのが伝わって


きましたが、一方、男子の中では人気者で、


常に遊びの中心(ゲームです)にいて、毎日


忙しく遊びまわっているような子でした。



そんな彼が変わったのは中学校に入ってから。


人が変わったように勉強し始め、運動もよく

できたため、 

いつのまにか、今度は遊びのリーダーではなく、 

クラスや委員会、部活のリーダーと

なっていました。


中学一年の時です。

仲良くなったクラスメートの子に誘われた

ある大手進学塾に入りたいと言い出しました。


(実は小学校6年生の時に

[お試しプチ中学受験]というのをやっており、これは急遽入れそうな学校を選んで 

1校のみ受験したのです。 


ある事件を起こしてしまい、居づらくなってしまうな〜と親目線で思ったのです。準備期間は、3ヶ月。30年以上前ののんびりした時代に、偏差値55くらいの中学に進学したのんびり屋の私でも、

先取り学習を続けさせられ、少なくとも小学校5年生の時には専門の塾で準備を始めた中学受験。当然息子は不合格でしたが、その時にお世話になった塾でした。


入塾テストの結果、特別に入塾できたのです。その塾のことは本人は気に入っており、

また入りたいと思ったのです)


「そんなところではなくて、皆が

行っているところでいいんじゃない?」


と言いますが


「行かせて、行きたい、お願い、お願い、

お願いします!」


と頼み倒され入塾することになりました。


(続きます)