一人は発達障害、もう一人は不登校のち中退、でもきっと大丈夫

上の子は発達障害、下の子は不登校のち高校中退しました。でもきっと大丈夫。

長男のこと

現在大学生の、我が家の長男は小学校低学年の時に


広汎性発達障害と診断されました。


学校から言われたわけではなくある本をなんとなく立ち読みしている時に、


「もしや!」と思ったのです。

その本は、のび太・ジャイアン症候群―ADHD(注意欠陥・他動性障害)

のび太・ジャイアン症候群―ADHD(注意欠陥・他動性障害)

でした。

当時、発達障害と言えば
「授業中、椅子に座っていられなくて教室を歩き回る子」程度の認識の世間に、

パンチのある(親しみのある?と言った方が
良いかも)タイトルで、

発達障害なるものを詳しく、わかりやすく
レクチャーしてくれた名著だと思います。

「授業中に立ち歩く」、、、

程度の認識しかなかった私は興味本位で立ち読みしたこの本の内容を見て、

「うちの子、発達障害?!」

と衝撃を受けたのを覚えています。

すぐさま、この本のクリニックに電話をし、予約をとり、まだ幼稚園に通う前の次男を義実家に預ける手配をしたのでした。

そして、いよいよ初診の日。

問診の後、WISCと呼ばれる検査を受けました。

結果を知りたい。
けれども知りたくない。

、、、もし発達障害という結果が出たら、

この子は将来一人で生きていかれるのか、、、


などと複雑な気持ちだったと思います。

でも、病院に来てしまった。
だから、現実を受け止めて、この子のために
できるサポートはしていこう。

そんな決意と、そして不安と、、、

今思うと懐かしくさえあります。

そして二週間後くらいに結果が出ました。

各項目(能力)を示したグラフに山があるほど

(項目ごとの差があるほど)偏りを示しているそう。

息子の場合は、短期記憶などが弱かったと
思います。

それでも私は、悲しい、とかショックという気持ちはなかったです。

「明らかになってホッとした」と思いました。

なぜなら、お出かけ先などで、

幼い次男との激しすぎる喧嘩、
周りもぎょっと驚くほどのパニックなど、

ほとほと困り果てていて、とにかく
お出かけするとヘトヘトに疲れました。

周りの人にもボソッと「うるさい」と何度
つぶやかれたことか。

だから、戦うべき「敵」がはっきり見えたことで、切なくはあるけれど、
腹を据えて向き合っていこう、という

気持ちが強かったです。

早速「リタリン」という薬が処方され、

そのことも含め、学校の担任の先生にも

報告をしました。

担任の先生は、若い20代の女の先生でした。

忘れられないのは誠意を持って向き合ってくれたこと。

色々な業務で忙しいのに、

じっくり話を聞いてくれました。

人ってそういうところでよくわかります。

とてもにこやかだけれど、
形だけの対応や言葉だったり、

面倒は避けたいという気持ちが見えたり、、

長男は間違いなく先生という面では
「当たり」であり、ずいぶん心強かったです。

お友達に相手をして欲しくて、
思い切り殴ってしまい、シャツが血に染まるほどその子が鼻血を出してしまったことや、
 
いきなり激しく泣き出したり怒り出したりというパニックを起こした時、

しばしば揶揄にあい激しく泣きながら
帰ってきたこと、、、

辛いこともたくさんありましたが
その先生ならわかってくれる、という
気持ちでいられて、

本当に心強かったです。