一人は発達障害、もう一人は不登校のち中退、でもきっと大丈夫

上の子は発達障害、下の子は不登校のち高校中退しました。でもきっと大丈夫。

高校中退した息子のこれまで(18)

前回の記事https://www.joyjoytree.site/entry/2019/02/14/025558の続きです。


霊能者として定評のある方のお寺に行き、

そこで九州にお墓がないかと聞かれ、

急遽そこに行ってお墓まいりとお坊さんにお願いし、お経を上げてもらった夫。


話は少し前後しますが、

この1日前に、息子は勇気をふりしぼり、

登校したのでした。


4月は3日しか登校していません。

けれども何を思ったのか、(おそらく「勉強に遅れたら嫌だ」という気持ちが強かったのだと思います)、連休の中日、5/2に勇気をふりしぼって

登校したのでした。


彼が支度をしている時、

(やった!やっと彼もまずいと思ったな。

いつまでも甘えていても仕方ないって

わかったんだな!)


心の中で手を叩きました。

これで安心。

また元どおりの学校生活が始まる、、、。


「行ってらっしゃい!」

と見送りました。



しかし、、、その1時間半後くらいでしょうか。

リビングの電話が鳴り、ディスプレイを見ると、

高校の電話番号です。


受話器を取ると、主任の先生からで、こんな

内容でした。


・登校の後、ホームルームだったが、すぐに

カウンセリングルームに直行してもらった。


・今後のことなどについて話し合いたいので

ご両親にこれから来てもらいたい。   


夫はもちろん仕事中なので行かれません。


何か暴れたとか、不穏な言動があったのでしょうか。


聞いてみると、そういうことはなかったらしく、


とにかく来て欲しい、とのことなので急いで

学校に向かいます。


学校到着後、受付を済ますと、校長室のような

ソファのある部屋に通されました。


教頭先生らしき方、主任、担任がいました。


息子もいます。


「登校後、すぐにカウンセリングルームで過ごしてもらい、今日はこのままお母さんと帰ってもらいます」


とのこと。


私「何かおかしな言動をしたのでしょうか?」


先生達「そうではないのですが、

とりあえず病院にかかってもらい、

診断書をもらってから授業に出席できることに

なります」


私「(せっかく勇気を出して登校できたのに、、、皆と仲良くなれるチャンスだったのに、、)


どうしてですか?

おかしなことをしていないのに、授業を受けられないんですか?」


強い口調になってしまいました。


主任「いえ、本人と話をしたところ、

うちの生徒がいじめたというよりも、

小学校時代に、塾で陰口たたかれたらしく、

それがトラウマになっているみたいで。

だから、今回からかわれて行かれなくなった

のではなく、

過去のトラウマに原因があるから心療内科で、

そうであるという診断書を書いてもらいたいんです。」

他の二人「そうです。(息子に向かって)まず過去のトラウマに向き合って病気を治すのが先だよ?」


主任「授業に出られるのは、心療内科で①病名を書いてもらうこと②そして登校が大丈夫と書いてもらうこと ができてからです。」


それを聞いて唖然としました。


息子は何一つおかしなことはしていないのです。


でも私も息子も「からかわれたこと」に対して

「一言謝ってほしい」と何度か伝えていたのです。


このことが大きくなり、保護者の耳に入ると、

面倒なことになるのははっきりしています。


この学校は、東大合格者も多く、高校生のクイズ番組にも毎年出て名の知れている進学校です。


一年生のうちから難関大学受験用のテキストなどが

教科書の中にありました。


でも、早慶付属高校補欠→不合格だった息子が行く

くらいですから、最難関校というにはほんの少し

足りないくらいの学力なのかもしれません。


だから学校が「管理」、「勉強」させないといけない。


春休みの宿題もすごく多かったです。

合格者実績を上げるために。人間的な教育よりもまずは進学校として生き残ること、有名進学校として

リスクと思えるものは排除し、発展していくこと。

それを最重視していた学校だったんだと思います。


(2つ目の高校では、勉強も大切にしますが、何より先生方が「いじめは絶対に許しません!」と断言し、とても熱心で温かく、励ましてもらいました。高校によって全く違うとわかりました)



「いじめをする子はうちのクラスにはいません。」


「それに、通信制高校もたくさんあるから、

それも良いですね。もう既に一人移った子もいるんですよ。早い方が良いですよ。息子君に合ったところを探した方がいいですね」


この日のことは忘れられません。


再び登校したことを喜んでくれ、 

また仲良くできるよう先生が皆の前で

取り計らってくれたら嬉しい。


そんな淡い期待は、持ったことさえ馬鹿馬鹿しかったのかもしれません。

 

心の中で泣きながら、息子と帰りました。


自宅最寄駅に着くと息子は教科書のたくさん入ったカバンを重いから、と私に預け、自転車で先に

帰ってしまいました。


私は泣きたい気持ちで重いカバンを持って歩きました。 


この日のことは今でもトラウマです。


やっと勇気を振り絞って登校したのに、


・皆の勉強の妨げになる。いじめを受け流せず騒ぐなどされると皆の成績に差し支える



・何かあった時に学校の責任にされたら困る


と言わんばかりに


診断書をもらうまで授業には出ないでほしい


(息子は家では暴れるなどしていましたが、

学校ではおとなしかったです)


と一方的に言われてしまったこと。


うちの生徒達はいじめはしません。


ちょっとからかったのを、息子はトラウマのせいで変に受け止めてしまっている、


過去のトラウマなんだ、


と断定されたこと。


また皆と仲直りして、楽しくやっていかれる!


という浅はかな希望はすっかり打ち砕かれてしまいました。


(続きます)