一人は発達障害、もう一人は不登校のち中退、でもきっと大丈夫

上の子は発達障害、下の子は不登校のち高校中退しました。でもきっと大丈夫。

高校中退した息子のこれまで(31)

前回の記事の続きです。


無事に学校の英語強化合宿に参加して帰ってきて


「楽しかった」

「朝起きられる自信がついた」


との言葉に喜んだのもつかの間、

その後の土日の休みをはさみ、

月曜はとうとう1時間も出席することができませんでした。


その週に心療内科に行き、話すと、薬を増量してもらいました。


そちらの効果があったらしく、

心療内科受診後の出席記録のメモを

今見返しているのですが、

薬を増量してから、授業、期末テストと

休まず登校でき2学期の終業式まで、

欠席なしで頑張ることができました。


2017年の12月の手帳を見ると、毎日1限から終わりまで、遅刻も欠席もなく、

100パーセントの出席率です。


嬉しくなりました。


そして、2学期最後の終業式の日。

この日は予備校の冬期講習の初日でしたが、

その前に同じクラスの仲良しのA君と遊ぶからお小遣いが欲しいと言ってきました。


学校からそのまま、一緒にお昼を食べて遊んでから、その後別れて予備校に行くとのこと。


快諾しました。


これで大丈夫なんじゃないか?

このままいけばきっと日に日に良くなっていくかもしれない。


淡い期待をだきました。


そう、冬休みだけは昼夜逆転しないように

気をつけよう。そう自分に言い聞かせながら。



さて、終業式の翌日、私と当時の担任の先生との二者面談がありました。


病状(少し前に「双極性障害」と診断されていました)を伝えたところ、


懇談会などではいつもニコニコと愛想良くしている先生の顔色がさっと変わり、

全身で警戒しているのが

肌で感じられ、

少し切なくなりました


(そのような病名にもかかわらず、親身になってくれた先生もいました。タイプ、人間性、色々かと思います)。

  


年の瀬を迎え、長男の方は最後の(浪人の期限がこの年だったのです)大学受験を控え、


こちらは感慨深いものがありました。


しかし、大詰めの大切な時期、

長男は体調も悪く、それまで朝から晩まで休まず通っていた予備校を休みがちで

とても心配でした。


彼は小学校の時に医療機関

発達障害と診断されたのですが、

当時は難しい面がたくさんあり、

勉強、生活習慣、人間関係、、

とても気を揉み、大変でした。


しかし皆と同じように振舞ったり、人に合わせるスキルを上手く身につけたようです。

今現在、普通にしか見えず

私も彼が診断されたことを忘れてしまうくらい普通です

(手先が極端に不器用な面を除いては)。


さて、彼の通っていた予備校は、忘れ物をするとペナルティを課されます。

夜、退塾前に、全ての教室の掃除をするというものです。


「自分の持ち物を管理できずに受験はできない」ということらしいです。


しかし、普通より少し忘れっぽい長男は、立て続けに忘れ物をしてしまい、

毎晩、退室前に掃除をしてから帰る日々が続き、滅入ってしまったようでした。


塾に行く時間になっても自室にこもっており、体調が悪いので休むと言います。



そこで、塾の方には

彼の特性などについて理解してもらい、ペナルティを少し緩めてもらえないか

と電話で伝えたのですが、



「決まりなので」とのこと。

長男は掃除を続けることになり、それが辛かったのか。

とうとう予備校に行かなくなってしまったまま、年末を迎えることになりました。


微熱もなかなかひきません。


前半は調子よく、模試の偏差値も第一志望がB判定、他はA判定、、と勉強の苦手な彼がよくここまで頑張ったな、と、嬉しくなりました。


万全を期して臨ませたい。

願書提出のための書類の作成、手続きは全て私がやりました。


その頃、私は顔以外の全身に湿疹ができ、「自家感作性皮膚炎」と診断されました。

疲れていたのだと思います。


掻きむしっていると、寝られなくて泣きが入るくらいな痒さでした。


それでも二人の息子のことで気が張っていたのかあまり大したことに思えませんでした。


精神的にいっぱいいっぱいの年の暮れでした。


(続きます)