一人は発達障害、もう一人は不登校のち中退、でもきっと大丈夫

上の子は発達障害、下の子は不登校のち高校中退しました。でもきっと大丈夫。

高校中退した息子のこれまで(42)

そして先生にも意思を伝えることになります。


本人が学校に行きやすくするために、

息子の仲の良い数人のお友達と食事会を

設定しようと一生懸命都合をつけてくださり

(残念ながら息子は頑なに断り、その計画は流れてしまいましたが)、自宅の息子に

何度も会いにきてくださいました。


フレンドリーで心の熱い先生。

その先生は学年が変わってからの担任でしたが、前の学年で出会いたかったと思える先生でした。


学年主任、校長先生、担任の先生と

夫婦、息子で面談もしました。


編入する前の高校では

「早く退学して通信高校に行った方がベター」という意味のことを不登校数日目で言われました。


東大進学人数のランキングに載っている高校です。

しかし、息子の様な存在に手間ひまかけていると肝心の学習指導が行き渡らないという懸念があるのでしょう。


早々に他を探した方が良い、とはっきり言われました。

息子は入学数日後、からかわれて不登校になってしまったのですが、そのことについて

「向こうの生徒たちに謝罪して欲しい」と申し出たのですが

」それで息子が納得して登校しさえしてくれれば、との気持ちから)


「あまり生徒たちをかき乱したくない」とのことで却下されました。


、、、それに比べると

最後の高校では何と温かく親身な対応を

してもらったことか。


かといって進学指導など力を入れて入れており、前の高校より偏差値は65前後とすこし

低めではありましたが私的には

大好きな高校、本当にそこを卒業してもらいたかったと今でも思います。  



今でもその高校の制服姿の子を見るだけで自然と温かい気持ちになります。


、、話しを元に戻します。


担任の先生に本人の意思を伝え、先生は

残念そうでした。


しかし、一学期ほぼまるまる欠席しているので留年は確定でしたし、何より本人に

また登校しようという気持ちがありません。


仕方なかったです。


そしてその際に気まずかったのは夫が「登校していないから」と学費を納めるのを先延ばしにしていたことです。


学校からのたび重なり通知にもかかわらず、です。


夫は平然としていましたが、

最後の挨拶時にはきまり悪かったです。


最後の日。


挨拶をし、ロッカーの荷物を引き取りに行きます。


最後というのに息子は来ませんでした(外に出るのが怖いのだから当然ですが、、、)。


学年主任の先生と担任の先生が見送ってくださいました。


感謝の気持ちで、頭を下げて、その学校に

別れを告げました。


、、、しかし本当に大変だったのは


それからでした(続きます)。